2005年08月23日
gowest報告(トルコ・イスタンブール1)
去年の夏に行った旅行の報告です。すでに出発から1年以上経過していますので、帰国から1年にならないうちに早めに完結させたいと思っています。
神戸から陸路で(北京~ウルムチ間は2年前に通行済み)やってきた我々も今回の目的地であるイスタンブールに到着しました。イスタンブールはご存知アジアとヨーロッパにまたがる都市で、とりあえず今回まででアジアを横断したことになります。
イスタンブールには10日弱ほど滞在しましたが、1日に大きな見どころは1つしか行かないという贅沢な時間配分で回りましたのでこのブログでは2回に分けて報告しようと思います。
きれいな景色(地中海の一部のマルマラ海)を背景に似合わない人たちが朝飯を食べています。イスタンブール到着は夜でしたのでこんなところだとは思ってもいませんでした。
この歴史的な建物(アヤ・ソフィア、東ローマ帝国時代の教会。帝国の地位の高い教会だったらしい。オスマン朝によってモスクに改造された。)のすぐ近くのホテルです。
イスタンブールはボスフォラス海峡をはさんでヨーロッパ側(西)とアジア側(東)、ヨーロッパ側は金角湾によって旧市街側(南)と新市街側(北)に分かれています。その間を船で移動します。
これはボスフォラス海峡に面しているアジア側の鉄道駅、ハイダルパシャ駅です。前の日に到着した駅です。
水道橋です。これもローマ帝国時代のものだったと思います。地下宮殿につながっているらしい。
この人は現地で知り合った日本人・・・ではなく、現地で合流する予定だった東工大の人です。6人目の参加者です。(すでに1名はウズベキスタンより帰国済みのため計5名。)
トプカプ宮殿(オスマン朝の宮殿)でアラビア文字の刻んである石版をメモを頼りに解読するムスカ氏(ラピュタ)の真似。
トプカプ宮殿からボスフォラス海峡が見えます。
地下宮殿。ローマ帝国時代の貯水槽だったようです。水道橋からつながっていたとか。近代になるまで存在は忘れ去られて上に家を建てたりしていたが、穴を掘って地下の空洞に釣り糸をたらすとなぜか魚がつれていたという話。
金角湾にかかる橋をわたって新市街方面へ。イスタンブールでは船が市民の足なのです。
ガラタ塔に登る。「コンスタンティノープルの陥落」時にジェノバ人居住区があったところ。また近代になって日本人の山田寅太郎がここからロシアの艦隊が日露戦争に出撃するためボスフォラス海峡を通過するのを発見し日本に通報したらしい。
一時期モスクになっていたため上塗りされていましたが、その下にキリスト教時代の壁画があるそうです。
トラム(路面電車)内の標識。「電流が流れているから磁界に注意」という説。
大型ショッピングセンター(カルフール)です。中国以来久しぶりです。ビールや食料品を買い込みました。
次回は「イスタンブール2(最終回)」を報告します。
投稿者 tisobe : 2005年08月23日 01:42
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